村岡桃佳のWikiプロフィール!家族や父親との関係がすごい!

村岡桃佳のWikiプロフィール!家族や父親との関係がすごい!

2018年平昌パラリンピックでついに日本人メダリスト第一号に輝いた選手が現れました。

 

メダリスト第一号に輝いたのは女子アルペンスキーの村岡桃佳選手。

 

滑降座位での銀メダルという素晴らしい結果です。

 

今回は、村岡桃佳選手のWikプロフィールについて見ていくとともに、
村岡桃佳選手の家族、さらに父親との関係について見ていきます。

 

村岡桃佳のWikiプロフィール

引用元:http://www.paraphoto.org

 

村岡桃佳選手の情報はまだWikipediaに掲載されていなかったので、
村岡桃佳選手のプロフィールをWiki風にまとめさせていただきます。

 

村岡桃佳のWiki風プロフィール

名前:村岡桃佳(むらおかももか)
生年月日:1997年3月3日
出身地:埼玉県深谷市
身長:150cm
体重:37kg
学歴:河本中学校卒業→正智深谷高校卒業→早稲田大学スポーツ科学部在学中

 

埼玉県深谷市生まれ育った村岡桃佳選手ですが、
4歳の時に「横断性脊髄炎」という病気を患ってしまい、
「両下肢機能全廃」という症状を患い、
車椅子生活を余儀なくされてしまいます。

 

「両下肢機能全廃」というのは「障害者等級1級」に分類される病気で、
大まかには「肢体不自由」というカテゴリーに分類されます。

 

「肢体不自由」とは先天的、あるいは後天的に四肢の麻痺や欠損、などにより日常の動作に不自由が生じる症状で、
脳疾患が原因で起こることが多いとされています。

 

肢体不自由と一言で言っても指先だけの不自由、腕の半分がの不自由、足先だけの不自由、足のふくらはぎから下の不自由など場所、範囲により名付けられる名称、等級が異なるようですが、

村岡桃佳選手の場合は「両足の太ももから下全部」の機能が損なわれているということになります。

 

また、村岡桃佳選手が「両下肢機能全廃」をいう症状を引き起こすきっかけとなった「横断性脊髄炎」というのは、
脊髄の横断面に炎症が生じる神経の病気。

 

両下肢機能全廃の直接的な原因となったのはこの横断性脊髄炎ですが、
横断性脊髄炎になった原因、

つまり村岡桃佳選手が車椅子生活を余儀なくされることになった直接的な原因については未だ分かっていないそうです。

 

そんな村岡桃佳選手がチェアスキーを始めたのは小学2年生の時。

 

父親に障害者スポーツに連れて行ってもらったことでチェアスキーを初めて体験し、
中学2年生になると本格的にスキーをスタート。

 

高校1年生の時には全日本チェアスキーチャンピオンシップの回転で見事優勝、大回転で準優勝を果たします。

 

中学2年生から始めたということは当時はまだ競技歴3年ほどですから、
たったの3年で全国1位に輝くというのはかなりの才能の持ち主だったのではないでしょうか?

 

そして2014年、高校2年生の時にはソチパラリンピックに出場し、
大回転で5位、回転で9位という成績を残します。

 

その後2017年のワールドカップではスーパー大回転で金メダル、
さらに2018年のIPCワールドカップではスーパー大回転で3位、
そして2018年の平昌パラリンピックでは滑降座位で銀メダルを獲得と、
圧倒的な記録を残していきます。

 

現在村岡桃佳選手は早稲田大学のスポーツ科学部に在学しているわけですが、
早稲田大学には「トップアスリート入試」と呼ばれるものに合格して入学しており、
障害者アスリートとしては村岡桃佳選手が始めてなのだそうです。

 

早稲田大学のトップアスリート入試というのはAO入試の一つの形態で、
「スポーツ科学に強い関心を持ち、在学中あるいは卒業後にトップレベルのスポーツ選手として世界的に活躍できる人物」
が入学できる試験なのだとか。

 

入試概要を見る限り「スポーツ選手として高い身体能力を持っていること」はもちろん必須条件ですが、
おsれだけではなくスポーツ科学を学ぶ能力、すなわちある程度の学力もないと
トップアスリート入試には合格できないことが伺えます。

 

村岡桃佳選手はスポーツだけでなく、勉強面でも大変優秀な選手であることがわかりました。

 

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村岡桃佳の父親がすごい!

世界大会やパラリンピックでメダルを獲得するほどの大活躍をしている村岡桃佳選手ですが、
実は村岡選手がスキーを始めた頃、コーチなどがいたわけではなく
お父さんに練習に付き合っていてもらっていたそうなのです。

 

村岡桃佳選手がチェアスキーを始めた当初、
世界レベルで戦える選手というのはまだそれほどいなかったのだとか。

 

そのため、指導者やコーチに関してもそれに比例して少なかったのだそうです。

 

ちなみに村岡桃佳選手の練習に付き合っていたお父さんは「元々スキーの選手だった」ということはなく、
水道関連の事業で自営業を営む人だったのだとか。

 

そのためスキーに関しては趣味程度の知識・技術しかなかったそうです。

 

そんなお父さんは村岡桃佳選手をトップアスリートに育てるために手探りでスキー技術を習得、娘に指導していき、
村岡桃佳選手を未来のパラリンピック銀メダリストへと導いていったのです。

 

世界の大舞台で活躍していくとなると尋常じゃないぐらいの練習をこなさなければなりませんから、
村岡桃佳選手は練習のつらさで心が折れそうになった事もあったと言います。

 

しかし、お父さんに支えられたことで挫けそうになってもその都度立ち上がり、
現在まで練習を続けてこれたと言います。

 

なんと素晴らしいお父さん!

 

いくら娘のためとはいえ自分自身も経験の浅いスポーツを娘に教え、
なおかつ娘を世界レベルの選手にまで育て上げるとなると
計り知れないほどの苦労が伴うでしょう。

 

並大抵の愛情や絆で真似できることではありません。

 

平昌パラリンピックの栄光は「父と娘の固く結ばれた絆」で掴み取ったものだったのではないでしょうか?

 

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村岡桃佳の家族は?

村岡桃佳選手のお父さん以外の家族についても調べてみました。

 

村岡桃佳選手にはお父さんとお母さんの両親の他に、兄、姉、妹の3人の兄弟がいるそうです。

 

つまり両親と4人兄弟の6人家族ということですね。

 

特に村岡桃佳選手のお母さんについては特筆すべき点があります。

 

村岡桃佳選手は早稲田大学でスキー部に入部しているのですが、
スキー部に入るためには寮生活が必須条件だったそうです。

 

先述したように村岡選手は初めての障害者アスリートとして「トップアスリート入試」に合格したわけですから、
スキー部の寮には始めバリアフリー設備が整っていなかったと言います。

 

その寮のバリアフリー化に貢献したのが、村岡桃佳選手のお母さんだったのです。

 

お父さんとのエピソードにしろお母さんのエピソードにしろ、
村岡桃佳選手のメダルは本人の努力はもちろん、
家族の支えもあってこそ掴むことができたものだったんですね。

 

ANAの村岡桃佳選手が出演しているCM動画がYouTubeにあったのでそちらも載せておきます。

 

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まとめ

平昌パラリンピック銀メダリスト・村岡桃佳選手のWikiプロフィールや障害を抱えることになった経緯、
また家族や父親・母親とともに歩んできたアスリート人生を振り返っていきました。

 

平昌パラリンピックには村岡桃佳選手以外にも注目選手が多数出場されるみたいです。

 

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