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現代ホスト界の帝王と称されるローランドさんの新人時代にスポットを当てていきます。
今でこそエレガントな雰囲気で多くのファンを魅了していますが、新人時代のローランドさんは今とはかなり違うキャラクターで、
今とはまた違った魅力のあるホストだったんです。
筆者は昔夜の仕事をしていたことがあるのですが、ローランドさんはテレビで有名になる前からホスト界隈ではとても有名な人で、
ネットのメディアなどでもよく発信していました。
なので、昔のローランドさんのことについても普通の人よりは少しだけ詳しいので、是非読んでいってください。
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ローランドの新人時代・東城誠時代のエピソードが壮絶だった!
大学を退学しホスト・東城誠へ
ローランドの本名と源氏名・学生時代ではローランドさんのホストになる前のエピソードについて詳しく書いていますが、
ローランドさんは多くの人がご存知の通り、帝京高校のサッカー部に所属していました。
将来プロのサッカー選手になることを夢見て頑張っていたローランドさんですが、怪我をしてしまいプロへの道を絶たれることに。
当時「プロになれなければ生きてる意味がない」とまで考えていたローランドさんは、
ホストとして成り上がることを決意。
高校卒業後に一度大学に進学するものの、なんと大学の入学式の当日に退学届を出し、ホストの世界に飛び込んだそうです。
入学式の日に辞めたので、大学からもクレームが来たのだとか。(笑)
親御さんの許可も得ず自分の決断だけで大学を辞めたため、お父さんからも勘当されてしまったようです。
ちなみにお父さんとはホストでまともな給料を稼げるようになったときにローランドさんが謝罪に行ったことで、現在は仲直りをしているようです。
ちなみにホストになる前にローランドさんはブックオフで漫画「夜王」を全巻購入し、
ホストの予習をしていったそうです。
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「夜王」の中でもローランドさんは「聖夜」というキャラクターに強い憧れを抱いており、
今でも「一番尊敬しているホスト」として”現代版の夜王”となるべくホスト業に勤しんでいるみたいです。
ホストクラブに面接行く前の日に夜王読んで、予習したなぁ。
その時みた聖夜の事が忘れらない!
あんなホストになりたい!こんなカッコいい男になりたい!
そう思ったのを今でも覚えています。
現代版の夜王となれるべく頑張るぞ!!!
ローランドさんなら夜王になれそうですね!
筆者も夜王を全巻読みましたが、ホストに興味がない人でも「ホストの世界ってこんな感じなんだー」ということを知れるので読んでみると面白いですよ。
漫画なので現実離れしている描写や「こんな上手くいくわけないやろーw」というシーンもたくさんありますが。
最初は全く売れなかったローランド/ゴキブリと同棲?
ホストの世界に飛び込んでみたものの、ローランドさんは始めは全く売れなかったみたいです。
当時住んでいたのは月63000円の新宿のアパート。
「6万3千円って一人暮らしなら普通じゃね?」と思われた方も多いでしょうが、新宿という都心中の都心ですからね。笑
新宿で6万って、事故物件を疑うレベルの安さです。
実際その賃貸はストーブもエアコンもなかったため冬はめちゃくちゃ寒く、本人が「ゴキブリと同棲してた」と語るぐらい汚い住まいだったそうです。
またお金もなかったため食べるのは100円ローソンのパン。
その中でも特にサイズが大きく、効率よく空腹を満たせそうなパンを選んでいたみたいです。
ひどい時だと歯磨き粉を食べていた時もあったのだとか。
また営業中も店の外でビラ配りをしており(ビラ配りなんて今でもあるのかな?笑)、
冬は凍えるような寒さなので、近くの店の室外機から出てくる暖かい風に当たり、寒さをなんとか凌ぎながらビラ配りを行なっていたようです。
ここまでの努力、普通の人にできますか?
ほとんどの人は同じ状況になれば即逃げ出してしまうでしょう。
しかしこんな過酷なことをやらされても耐えたのがローランドさんだったんですね。
ちなみに給料は1日10時間以上働いて数千円とかだったそうです。
実際ホストクラブって急に飛ぶ人がめちゃくちゃ多いですからね。(飛ぶとは連絡・相談なく退店すること)
というより、相談すると辞めさせてもらえずトラブルになることも多いので、飛ばざるを得ない人が多いのです。
ホストクラブの離職率は80%と言われています。
(ブラック企業どころじゃないw)
また、今はかなり減ってきたようですが、ローランドさんの新人の頃の時代だと、いわゆる「暴力店」と呼ばれる店も多数存在していたんですね。
風の噂で聞いた話ですが、「従業員用の非常階段が毎日血だらけになっている」といった店も存在していたみたいです。
今の時代はそんな暴力店に人は集まらないですし、ちゃんとした店なら「暴力振るったら罰金」みたいな店が多いのでだいぶ減ってきたとは思いますが、
少数ではあるもののそういう店もまだまだ存在しているでしょう。
売れてない時からローランドには売れる素質があった?
東城誠時代、ローランドさんにはこんな素晴らしいエピソードがあります。
新人時代、ローランドさんをはじめとした店の新人たちが先輩に集められ、「今から街で100人に連絡先聞いてこい」と言われたそうです。
その時、ほとんどの新人たちは「100人に連絡先聞くなんて」ということで萎縮し、実際誰も連絡先を聞くことを実践しなかったのだとか。
しかしローランドさんだけは「100人に連絡先を聞く」ということを実践し達成。
その先輩から「お前は絶対売れるよ」と言われたそうです。
この時のエピソードについてローランドさんはこう語っていました。
「100人に連絡先を聞いたこと自体が大事なのではない。先輩からやれと言われたことを素直に実践したということが大事なんだ」と。
先輩には生意気な態度もたくさんとってきていたようですが、自分の為になるかもしれないと自分で判断したことに関しては何が何でもやり遂げようとしていたんですね。
こうして必死でホストという仕事に食らいついた結果、1年でようやく月給30万円をもらえるほどに。
ホストで才能のある方だと未経験初月から何百万も売れる人も中にはいますが、
ローランドさんは元々そういった天才型ではなく、努力型のホストだったんですね。
代表に上り詰めるも、クビに!?
売れ始めてからの道のりも決して平坦ではなかったようです。
元々メンキャバで働いていたローランドさんは結果を出していったことで店の代表に就任。
しかし当時のローランドさんは従業員をぞんざいに扱うような代表だったため、誰からも支持を得られず、
最終的には店のトップという立場でありながら店をクビになる羽目に。
オーナーに呼び出され、従業員全員の前で「僕たちを全員クビにするか誠さん(当時のローランドさんの源氏名)が辞めるか選んでください」と言われ、
店を一人去っていったそうです。
店をクビになったローランドさんは現在働くプラチナへ移籍。
当時それなりに知名度を上げていたローランドさんはグループダンディ(歌舞伎町最大手グループ)や冬月グループ(業界3番手のグループ)からラブコールをされていたみたいですが、
あえてKGプロデュース(業界4番手)のプラチナ本店に入店することに。
KGを選んだ理由としては、当時の社長(瀬女蘭さんではないです)に「君のことはよく知らないけどウチに入ったら悪いようにはしないよ」と言われ、
他のグループの熱烈なラブコールとは違い、ドッシリと構えたグループのスタンスに心を打たれたからだそうです。
プラチナ本店に移籍したローランドさんは代表(現在の社長)である瀬女蘭さんらとともに店を引っ張っていくことに。
プラチナに入ってからもローランドさんもかなり尖った性格で、ローランドさんと蘭さん以外の幹部陣全員が店を辞めるなど、店が潰れかけるレベルの苦難も何度もあったようですが、
そんな中でも何とか成長を遂げ、今では歌舞伎町で名前を知らない人がいないぐらいの超有名店へとなったのです。
ローランドの新人時代のブログが面白いww
ローランドさんはテレビに出る前から歌舞伎町界隈では有名だったわけですが、彼が有名になったのは当時ローランドさんがやっていた「ブログ」でした。
新人時代にローランドさんがやっていたブログのタイトルは「PTAが選ぶ『子供達に見せたくないblog』第1位!!」というタイトルでした。(笑)
テレビに出てからのローランドさんしか知らない人からしたら信じられないかもしれませんが、昔のローランドさんって、「超毒舌&炎上」キャラだったんですね。
なので当時の東城誠を知っている人からすれば、「ローランド随分丸くなったよなーw」って思っている人が多いと思います。
ちなみに「PTAが選ぶ『子供達に見せたくないblog』第1位!!」というブログは途中でやめ、その後新しいブログも立ち上げたのですが、
そのブログのタイトルは『東城誠の【お前ら金持って集合ー!!】』というタイトルでした。
どちらももうブログが残っていないのがもったいない!笑
懐古厨みたいな発言にはなってしまいますが、個人的には今の完成されすぎたローランドさんより昔の東城誠さまの方が人間味もあり好きでしたね。
ブログ読んで何度も爆笑していたのを思い出します。(笑)
今のローランドさんは「性格も良くユーモアもある」というイメージですが、昔の東城誠さまは「性格がめっちゃ悪いけどユーモアもある」と言ったイメージだったんです。
自宅に盗聴器を仕掛けられていたことも・・・
これは東城誠として売れてからのエピソードですが、ローランドさんは売れてから新宿の20万円ほどの賃貸に一人暮らしをしていたものの、その後港区に引っ越したんですね。
なんとその引越しの理由が、「自宅に盗聴器を仕掛けられていたから」なのだそう。。
どこに仕掛けられていたのかというと、玄関のブレーカー部分。
それに気づく以前にローランドさんは「ブレーカー点検の業者」を名乗る人を玄関に上げたことがあったみたいで、
その時に仕掛けられたのではと推測しているみたいです。
ちなみにこの件に関しては以下の動画の「1:39:00〜」あたりでで本人が語っています。
家帰ってきた瞬間にストーカーから電話かかってきたってやばすぎますね。。
今でもホテル暮らしをしたり賃貸暮らしをしたりと転々としているのは、この時のトラウマが大きいのかもしれませんね。
まとめ
ローランドさんの新人時代の壮絶なエピソードについてまとめていきました。
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